清朝最後の皇帝・溥儀の数奇な人生を壮大なドラマに仕立てた映画『ラストエンペラー』。
当時の映画賞を総なめにした名作です。
今回は、映画『ラストエンペラー』のロケ地を6つ紹介します。
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1950年、ソ連から満州に送還された大勢の中国人戦犯の中に、清朝最後の皇帝・溥儀(ジョン・ローン)はいました。
手首を切って自殺を図った溥儀は、薄れゆく意識の中で波乱に満ちた過去を思い起こします。
わずか2歳で清朝の皇帝に即位、辛亥革命による退位後紫禁城に住むも、北京政変で退去。
日本公館の庇護を受けた縁で日本の傀儡国家・満州国の皇帝となり、終戦後はソ連に抑留。
中国に戻されると戦犯管理所で共産党の思想改造を受け、釈放後は一般市民として生活します。
1988年のアカデミー賞で作品賞をはじめとする9部門を受賞。
甘粕正彦役で出演もした坂本龍一が音楽を担当し、日本人として初めてアカデミー作曲賞を受賞しました。
1987年製作/163分/イタリア・イギリス・中国合作
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
出演:ジョン・ローン、ジョアン・チェン、ピーター・オトゥール、坂本龍一ほか
映画『ラストエンペラー』のロケ地6選
①【故宫博物院】清朝の皇帝に即位後北京政変で退去するまで溥儀が生活した紫禁城
本作前半の主な舞台となっている紫禁城は、明・清王朝の皇帝が約500年にわたって生活をした宮殿です。
最後の皇帝・溥儀の退去後は、「故宮博物院」として管理され、本作の製作と同じ1987年に世界文化遺産に認定されました。
即位したばかりの幼い溥儀が黄色い天蓋のかかった太和殿から走り出るシーンは、この映画を象徴するシーンの1つでしょう。
【所在地】4 Jingshan Front St, Dongcheng, Beijing, 中国
②【頤和園】紫禁城内の庭園
紫禁城内の庭園のシーンには、同じく世界文化遺産に登録されている「頤和園(いわえん)」が使用されました。
美しい蓮池をバックに、溥儀が乳母アーモ(イェード・ゴー)の胸に顔を埋めるシーンが印象的です。
【所在地】19 Xinjiangongmen Rd, Haidian District, 中国
③【パラッツォ・デイ・コングレッシ】天津のダンスパーティー会場
紫禁城を追われた溥儀は日本政府に庇護されることになり、天津の日本租界で数年を過ごします。
「1927年 天津」とキャプションのある、溥儀が見事な歌声を披露するパーティーのシーン。
このシーンはなんと、中国ではなく、ベルナルド・ベルトルッチ監督の出身地イタリアで撮られました。
1901年にホテルとして建築されたこの豪華な建物は、現在、公共施設の入るコンベンションセンターとして利用されています。
撮影に使われたのは、「ムーアホール」という玄関に続くスペースのようです。
【所在地】Viale Giandomenico Romagnosi, 7, 43039 Salsomaggiore Terme PR, イタリア
④【大連中山広場】文繡が離婚を申し出るパーティー会場からの帰り道
天津でのパーティーからの帰りの車中、第2夫人である文繡(ヴィヴィアン・ウー)は溥儀へ離婚したいと申し出ます。
溥儀、文繡、正妃の婉容(ジョアン・チェン)の3人が乗った車が噴水の横を通るシーンは、天津ではなく大連で撮られました。
特徴的なルネサンス様式の建物「旧横浜正金銀行大連支店ビル」が映ることから、「大連中山広場」だと分かるのですが、今この噴水はなくなっています。
旧横浜正金銀行の建物は、現在、中国銀行の施設として使われているようです。
【所在地】中華人民共和国 遼寧省 大連市 中山区
⑤【大連港第二埠頭船客待合所】溥儀がジョンストンに別れを告げる港
作中で「1931年 天津」とされているジョンストン(ピーター・オトゥール)との別れのシーンも、天津ではなく大連で撮影されました。
大連中山広場のほど近くにある大連港。1924年に建てられた船客待合所がこのシーンのロケ地です。
建設当時にあった半円形のエントランスや路面電車との接続駅はなくなってしまいましたが、今も船客待合所として使われているようです。
【所在地】中華人民共和国 遼寧省 大連市 中山区
⑥【偽満皇宫博物院】満洲に移った溥儀が過ごした皇宮
溥儀が満洲国の執政(のちに皇帝)となってからのシーンの多くは、実際に溥儀が執務・生活をしたかつての皇宮で撮影されました。
現在は日本軍の占領政策の歴史を展示する「偽満皇宫博物院」として管理され、一般に公開されています。
即位パーティーの会場や溥儀がアヘン中毒で錯乱した婉容と再会するシーンなどで何度も使われているのは、1938年に建てられた同徳殿という建物です。
【所在地】5 Guangfu N Rd, Kuancheng District, Changchun, Jilin, 中国
その他
戦犯管理所から釈放された溥儀は、1960年から約1年間、「北京植物園」で庭師として働きました。
北京植物園は現在、「中国科学院植物研究所」と統合され、「国家植物園」として管理・公開されています。
溥儀が温室で植物の手入れをするシーンもここで撮影された可能性がありますが、確認することができませんでした。
【所在地】中華人民共和国 北京市 海淀区 香山南路
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